萬田久子~「略奪婚の勝ち組」が迎えた意外な結末 – 芸能人不倫名鑑01

人気女優の玉の輿略奪婚

萬田久子

萬田久子さんは、1958年大阪府で生れ。高校卒業後、短大在学中の1978年にミス・ユニバース日本代表に選ばれ、1980年にはNHK朝のドラマ小説『なっちゃんの写真館』で女優としてデビュー。その後も数多くのドラマや映画に出演した人気女優の一人です。

また、『クイズ!!ひらめきパスワード』『ボキャブラ天国』『タモリの笑っていいとも!』などのクイズ、バラエティ番組のレギュラーもつとめ、才色兼備の気さくな女優としてもお茶の間で親しまれていました。

萬田久子 - 資生堂サマー化粧品CM(1981)

資生堂サマー化粧品CM(1981)

さすがビ・ジ・ン!ですよね~

さて、その萬田さんの交際が発覚したのは1987年。萬田さんは当時29歳。

お相手は大手アパレルメーカーの代表取締役社長兼CEOであった佐々木力(ささきちから)氏で、当時佐々木氏には妻子がいて、しかも奥さんは次の子供を妊娠していたので、完全に不倫です。

佐々木力氏

佐々木力氏

さらに萬田さんは佐々木氏の子供を身籠り、その年の10月にはニューヨークで男児を出産

怒り心頭の佐々木氏の奥さんは頑として離婚を認めませんでしたが、翌1988年には佐々木氏の都内の豪邸に長男とともに入居し、いわゆる事実婚状態となります。

そして佐々木氏が萬田さんとの子供を認知してからも奥さんは離婚を承諾せず、結局ようやく離婚が成立したのは不倫が発覚してから7年後の1994年のことでした。

ところが佐々木氏と萬田さんはその後も入籍しないまま事実婚状態を続け、結局2011年8月に佐々木氏が胃がんにより60歳で死去するまで事実婚を続けました。その理由の一つは、佐々木氏と離婚するさいに前妻が萬田さんとは入籍しないことを条件に付け加えたからだとも言われています。

それはともかく、事実婚という形でではありながらも、大富豪の佐々木氏との間に子供をもうけて大邸宅の中で一緒に暮らすことができたわけですから、これはやはり「略奪婚の勝ち組」と言うべきでしょう。

当時は週刊誌やワイドショーで散々叩かれていましたが、内心は勝ち誇って脳内お花畑は満開だったのではないでしょうか。

佐々木力氏と萬田久子さん

奪うものは奪われる

ところが!…

佐々木氏ががんの闘病の末期でいよいよ終末を意識し始めたときに、じつは自分に愛人と隠し子がいることを萬田さんに打ち明けます。

相手の女性はなんと萬田さんとも顔見知りの40代の元モデルさんで、その女性とは8年以上も秘密裏に交際を続けて当時2歳になる子供までいたのです。そして佐々木氏はこのことを告白して間もなくこの世を去りました。

世間から後ろ指を指される愛人という立場で前妻との長い確執の末にようやく手に入れた本妻の立場…と思ったのもつかの間、今度は自分が愛人と対峙する立場に立たされてしまった萬田さん。

最愛の人との別れの間際に衝撃の事実を告げられて、心中を察して余りあります。

しかもそれだけでなく、さらに衝撃の事実が!

佐々木氏には土地や株など莫大な財産がありましたが、その遺産相続に関しては前妻の子供3人、萬田さんの息子1人、愛人の娘1人にそれぞれ遺産相続の権利があります。

もし遺書がなければ、婚姻関係があるときに生れた「嫡出子」である前妻の子供が1/4ずつ、萬田さんの息子と愛人の娘が1/8ずつが法廷配分となるはずでしたが、実際にはなんと佐々木氏の遺言により萬田さんの息子さんより愛人の娘の方が多く受け取れるようにされていたのです。

おそらく佐々木氏としてはすでに十分に経済力のある萬田さん親子よりは愛人親子に配慮したのだとは思いますが、萬田さんとしてはどうしても割り切れない思いがあったずです。

事実、佐々木氏が末期の床にあっても愛人女性が見舞いに来ることを萬田さんは決して許さなかったと言われていています。

つまり皮肉にも、萬田さんが前妻から受けたであろう怒りと憎しみを、今度は萬田さん自身が愛人に向けることになったわけです。

先に萬田さんは「略奪婚の勝ち組」であると言いましたが、その物語は必ずしも勝ちっぱなしで終わったわけではなかったようです。

そして、不倫は因果応報、と言いますか、「浮気する男はいつまでも浮気する」「奪うものは奪われる」という教訓を世間に残したのでありました。

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